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IDLE TALK
私的ココロ







ディーシー・ラボの代表、奥本が、モノやコトそしてドーラクについて、その時々の興味を気ままに綴ったアイドルトーク(無駄話)。仕事も遊びも楽しむ方々との小休憩ページです。
また時折登場する趣味のコラム「道楽迷路」は、その道の趣味、興味のない方にはさっぱり意味不明、本当に時間の無駄となります。


過去の私的ココロ

お暇な方、もの好きな方ヘ贈る、愛と追憶のバックナンバー。





Vol.020
インシャラーの国

文・写真=奥本健二







なぜか最近、インドの夢をみる。
彼の国で眼にしたシーンの、フラッシュバックのような夢。
それは、すっかり薄れてしまったインドを思い出すいい機会になった。

インドは「病みつきになる人」と「もう二度と行かない!」という人の、両極端に分かれると言われている。
はまる人は、どっぷりはまる。
ダメな人は、まったくダメだと。
確かにインドという国は極端な国だと思う。
限りなく美しく、限りなく醜い。
カオスの中の、なにをどう感じるかは、受け取り手次第ってことなのだ。

インドといえば、現在ではIT大国の印象も強い。
ソフトウェアのアウトソーシングといえばインド。
2003年あたりではソフトウェア生産力は世界一だったらしいが、私がインドを旅した15年前は、まだITの欠片も感じられない“素のインド”がそこにあった。


フマユーン廟は、ムガール帝国の第2代皇帝の眠る霊廟。
1993年世界遺産に登録。



会社勤めだった当時、無性にインドに行きたかった。
それで有給休暇を活用し、20日間ひたすらインドを旅したのだ。
圧倒的な建築や優雅な意匠、贅を尽くした装飾、それの対極にある街のありように、引きつけられっぱなしだった。
いまや、そのすべてがうろ覚えになってしまったが、当時撮影したポジフィルムを眺めていると、思い出す言葉がある。
それは、旅行中に幾度も聞いた「インシャラー」と「バクシーシ」というアラビア語。
インシャラーとは、イスラム教徒にとって「神(アラー)の思し召し」という意味で、非常に便利な言葉なのだ。
日常用語に訳すと“先のことはわからない”的な意味合いか。
タイの「マイペンライ」“大丈夫、なんとかなるさ”の使われ方に良く似ていた。
約束の時間に間に合わない、遅れても、失敗しても、約束を守らなくても、すべてがインシャラー。
万事が、焦ってもなるようにしかならないさ、それに急いで歩くと疲れるじゃん。てな、感じなのだ。


「バクシーシ」の一団の背後からジッと見ていた少女。子守の仕事か妹か。
キャンディーを渡すとニッコリ微笑んだ。



バクシーシとは、「ほどこし」と言う意味に近い。
インドやアラブ方面では共通語になっている言葉だ。
海外からの観光客に対しても「パパ、バクシーシ!」と連呼する。
子供から大人まで、本当に乞食のような人からしっかり稼ぎまくってる人まで、「バクシーシ」なのだ。
何かしてくれたときも、それは親切心というよりバクシーシを期待してのことだったりする。
バクシーシとは「喜捨」という意味もある。
喜捨は仏教の教えで、他人に施しをすることで「カルマ(功徳)」を積むことができるとする、お布施のようなもの。
同様の考え方がイスラム教にもあり、イスラム世界では「乞食」はれっきとした職業なのだ。
インドでもバクシーシは非社会的なことではなく、その国のベースとなる価値観や習慣のひとつなのだと感じた。

しかし慣れない日本人は、どうにもバクシーシが難しい。
物乞いの人にバクシーシを求められると、反射的に体が固まってしまうのだ。
印象的だったのは、両足のない子どもが自分の状況を売りにして、初老の日本人婦人にバクシーシを求めてきたとき。
観光で訪れていたはずの婦人は、その子の身に生じた不幸にショックを受け、観光どころでなくなってしまった。
その子のことを思い、「かわいそうに」と涙しているのだ。
私はそこから移動するバスの中から、衝撃的な光景を目にした。
さっきの両足のない子が、別の少年の観光人力車に乗せてもらっている。
楽しそうに大笑いしながら。
仲間同士で「今日も稼いだぜ〜」とでも言っているようだった。
施しを受けた人間の方が幸せそうに笑い、施しをした人間の方がしょげ返っている。
なんとも奇妙な光景だった。
バクシーシは、インド人がごく日常的に行っていることである。
道ばたに座っている人に、ヒョイとこともなげに小銭を与えるインド人を何回も見かけた。
そう、なんでもないかのように施すのが本当なのだ。




タージ・マハールのJaypee Palace Hotel。見事に設計された庭園を有するホテルは、豊かなムガール帝国の雰囲気が漂っている。
昼は制服もない雇用人がひたすら水をまき、夜は連日のようにセレブたちのパーティーが開催される。



インドでは富と貧困が階級に付きまとっている。
その根元はヒンドゥー教のカースト制度だ。
現在は憲法で禁止されているものの、実際には人種差別的にインド社会に深く根付いているようだ。
カーストは身分や職業を変えることはできない。
カーストは親から受け継がれるだけであり、生まれたあとにカーストを変えることはできない。現在のカーストは過去の生の結果であるから、それを受け入れ、その人生を全うすべきとされているのだ。
私が見かけた物乞いも、身分を親から受け継ぎ、その人生を受け入れたのかもしれない。
ここでもやはり、インシャラーなのだ。


風の宮殿はジャイプールのシンボル的な建物。
かつてこの小窓から、外を歩くことのできない宮廷の貴婦人が、街の祭りやパレードをのぞき見ていた。



そんな庶民の懐を潤す観光地は、その地の藩王「マハラジャ」によって建造されたものが多い。
それが今、世界遺産という環境資産にもなっているのだ。
ある宮殿には、藩王が廃止された今もその子孫が住んでいて、莫大な財産を持って、優雅な生活をしていると聞かされた。
実際インドの貧富の差は天文学的で、旧マハラジャたちの富は桁違いらしい。
インド各地にいる旧マハラジャたちは、現在は政治的な実権はないものの、まだまだ王の末裔として地元の人々の注目と尊敬を集めているという。
日本にたとえて言うなら、江戸期の大名がいまだに尊敬と冨をもって城の中で暮らしている、というところだろうか。
そこには、すべての身分や職業を受け入れる、インドの人々の気質が見て取れる。
それがあるからこそ、贅を尽くした圧倒的な美の殿堂を、現在まで遺すことができたのではないだろうか。


闇夜の中から突如現れた白馬の王子。実は結婚式へ向かう一団で、紙幣をばらまきながら行進していた。


怒り続けられないのなら、最初から怒らなければいい。
イライラを感じたなら、お茶で気分転換しましょ。
助けてもらえる時は助けてもらい、相手が困っている時は自分で出来ることでお返しすればよい。
インドで出会った人は、おおらかで優しい人が多かった。
インド人は生けるものの生命を非常に大切にする。
そこら中にうろつく野良牛や野生のインコなどの動物だけでなく、昆虫でさえ殺さない。
インド人はお湯を地面に捨てない。地面に住む小さな虫達が死んでしまわないように、お湯が冷めてしまってから捨てると言うのだ。
なぜなら、そんな命さえも神の思し召しだから…。


新聞を売る少年。車やバイクの間をぬって売り歩く。


自分がもらったキャンディーを赤ちゃんになめさせる子守の少女。
観光客の渡したお菓子を分けあって食べる子たち。
また街のなかで新聞を売る子、工場で働く子。
どの子の瞳もいきいきと輝いていた。
そういう中で、私の持ってきた日本の価値観など無意味だった。
それに取って代わったのは、不思議なインドの物差しだ。
私の心は、えもいえぬ心地よさに満たされていた。
すぐにでも、彼らと同じ古タイヤでつくったサンダルを履き、一緒に軒下の日陰に座り込みたい気分だった。
それは、かつての日本を疑似体験するような、懐かしさだったのかもしれない。
そうして私はインドの虜になっていた。









2006年10月27日 20時25分

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