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IDLE TALK
私的ココロ







ディーシー・ラボの代表、奥本が、モノやコトそしてドーラクについて、その時々の興味を気ままに綴ったアイドルトーク(無駄話)。仕事も遊びも楽しむ方々との小休憩ページです。
また時折登場する趣味のコラム「道楽迷路」は、その道の趣味、興味のない方にはさっぱり意味不明、本当に時間の無駄となります。


過去の私的ココロ

お暇な方、もの好きな方ヘ贈る、愛と追憶のバックナンバー。





Vol.018
眠る山道具

文・写真=奥本健二






物入れを整理していて、学生時代に愛用した山道具を見つけた。

いや、そこにあるのは憶えていたけど、何十年も放ったままの、今の自分には不要のもの…。
とはいえ、とても捨てられないモノたち。
こうして改めて眺めてみると、当時の事が鮮明に思い出される。
そう、これらの古い道具は、私の思い出の中で生きているのだ。
実際、役に立たないものほど「宝物」になりやすい。

学生時代に山岳部に所属していた私は、バイトで得たお金は全て山行のためにつぎ込んでいた。
とっても硬派で女っ気無しの、今では希有な純朴青年だったのである。
中高年だらけの今と違って、当時の山には学生が大挙して登っていた。
中高年の人なんて、滅多に出会わなかったのである。
貧乏学生にとって、ほとんどが欧州の輸入品だった山の装備は、マッターホルンの高嶺のように高かった。
それだけに、憧れていたモノを手に入れた時の感動は、今でも懐かしく思い出せる。

当時の装備の三種の神器といえば、登山靴にピッケル、ザックか。
しかし大学の部室にはキスリング(クラシックな横型ザック)がいっぱいあって、個人でそろえなくてもよかったのだ。
ただ、登場し始めていたフレームパックや、ウェストベルト付きの縦型ザックをと比べると、50kgを超える巨大な荷はめちゃくちゃ背負いにくかったが…。
ザック以外に重要な個人装備といえば、冬山で使うアイゼン。
この3種の装備には、思い入れも思い出も一際多い。

選ぶ根拠はデザインとそのブランドの信頼性。
仲良くなったショップのスタッフや雑誌などから、むさぼるように情報収集し、頭の中だけは一流のアルピニスト並みになっていた。
一流の登山家と同じものを使えば、自分もそのようになれるような気がする。
そんな錯覚が道具選定のエネルギーだったようだ。
表向きには、命に関わるものだからと自分自身を納得させ、実のところはブランド価値を買っていたのかもしれないな。



愛用したピッケルは、フランスはシャモニー地方の名門メーカー、シモンのスーパーD後期型。熟練工が鍛えた鍛造品だ。
このピッケルを手に入れることを目標にバイトに精を出していたっけ…。
改めて振ってみて驚いた。
異常に重い。
当時50Kgそこそこのやせっぽちだった私が、よくもまあこんな重いピッケルを使っていたものだ。
いまなら持っているだけで肩が凝りそう。



そして、登山靴はガリビエール・スーパーガイドRD。
一流登山家の愛用するこれを履けば、自分もどんな難攻不落のルートも征服できそうな気がした。
このスタイルと赤い紐のマッチングが絶妙…と、当時は思えたものだ。
事実、これを履きはじめた頃から体力的にも余裕ができ、山の楽しさを感じられるようになった。

冬山になると、その靴にアイゼンという鉄のツメを履かせる。
氷のように硬くなった雪に食い込ませ、スリップを防止するのだ。
私が使っていたのは、当時独創的デザインで頭角を現していたシュイナード(パナゴニアの創始者で登山家)のデザインのもの。



今、これらの装備で山に登ると、間違いなく懐古趣味のファッションと思われるだろう。これらは今見ても良いデザインだと思うのだが、いかんせん重い。
しかしそう感じるのは、私が軽さと機能が向上し、便利になった現代に生きているからだ。
同じ歩みでも、進歩したものは後戻りできない。
しかし、何かが忘れられているような気がする。
人間的な何かが…。
そう感じるのは、私がこれら古き良きアルピニズムの道具たちへの思い入れをもっているからだろうか。


1980夏山:黒部渓谷        1980夏山:北穂から槍を望む


1981秋山:槍山頂より穂高連峰          1981秋山:槍沢


1979冬山:燕岳から槍ヶ岳方面  


峠から、峠に移る旅路かな。

いつどこで読んだものか、すっかり忘れてしまったが、この言葉だけは今もふと思いだし、呟いていることがある。
 
ひとつの峠を超えてホッと息をついたら、また次に峠が控えていて、その峠を越えると、やっぱり次に峠が続いている。
限りなく峠が続いて、これから歩む人間にとっては、果てしない旅路に見える。

置き換えれば、これは人生のひとつの真実でもある。
真実である限り、これは誰にも避けられない。
というより、そうあることで一人一人固有の人生が形成されている。
壁ともいえる、こうした障害を乗り越えるため、人は懸命になって歩む。
そしてそこに固有のドラマが生まれる。
高い峠、低い峠、荒々しい峠、美しい峠、さまざまの起伏の中に、さまざまな人生が織り込まれて、それで一筋の足跡がついていく。

後から気づいたことだが、山はいろいろなことを私に教えてくれた。

自然の驚異と力。
自然の美しさとはかなさ。
それだけじゃない、歩みを止めないことの重要さや、死ということについても考える機会を与えてくれた。

懐かしい山道具は、そんな私の自己形成に一役かってくれたモノたち。
こいつらと共に、いつかもう一度あの頂を目指したいと思う。
いくつもの峠を越えられるだけの体力を復活させ、25年前のルートを辿ってみたいのだ。
過去の道具と共に、自分の過去と向き合うことで、新たな自分が見つかるかもしれない。
ただし…、登るなら巨大なザックは到底無理。
軽い荷で軽快に、山小屋泊まりで行きたいのだが…。









2006年09月26日 17時00分

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