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IDLE TALK
私的ココロ







ディーシー・ラボの代表、奥本が、モノやコトそしてドーラクについて、その時々の興味を気ままに綴ったアイドルトーク(無駄話)。仕事も遊びも楽しむ方々との小休憩ページです。
また時折登場する趣味のコラム「道楽迷路」は、その道の趣味、興味のない方にはさっぱり意味不明、本当に時間の無駄となります。


過去の私的ココロ

お暇な方、もの好きな方ヘ贈る、愛と追憶のバックナンバー。





Vol.017
こころを休ませる庭

文・写真=奥本健二






ガーデンライフというと、思い浮かぶのはイングリッシュ・ガーデン。
彼の国の人たちにとって、植物はなくてはならない友人のようだ。
私がこれまで会ったことのあるイギリス人は、みんな園芸が趣味と異口同音に口をそろえた。

なぜ彼らはそれほどまでに好きなのだろう?
植物が身近にあると落ち着くから。
ではなぜ落ち着くのか?
それはかつての狩猟民族として森に住んでいた頃の記憶が、個々のDNAに刷り込まれているから、かもしれない。

そんな国だから、庭師のステータスはとっても高い。
環境と自然に対する知識と技術、そして美意識をもつ彼らは、皆に尊敬される存在なのだ。





もちろん庭にはその国、その土地のさまざまな意匠や様式がある。
しかし洋の東西を問わず、人間が庭を造ろうとする想いは、魂のかえる場所を探し求める行為なのではないか。

この現代、特に日本においては、そんな想いを思う存分表現できる庭をもつことは容易ではない。
で、しょせんは縁遠いものとあきらめるのは簡単だ。
要は気の持ちようでもあり、工夫の仕方なんだと思う。
京都の町屋の坪庭を例えるまでもなく、かつてどこの町の長屋にも、路地にさく夕顔や南天があったのを思い出そう。
それも人のしつらえた庭であり、誰かの心を癒してくれていたのだ。
たとえそれが、ネコの額ほどの大きさでも、人を癒す力を持っている。



違う視点で国内を眺めると、まちづくりを考えるどの地域でも、緑地や庭園の整備に力を入れているように思う。
自分ではたいした庭など持てそうもないのは事実だから、そうした公共の庭園や保全された森などを見て歩くのも悪くない。
なにより、自分で手入れする必要がないのがいい。

最初から都市計画の中に組み込まれた、ニューヨークのセントラルパークやパリのブローニュの森とまではいかなくても、日本の都市にも共有できるオアシス空間はもっと計画されるべきだ。
我々は公共の庭、都市の中の自然を、保存する以上にもっと増やす努力をすべきなのだと思う。

私の住む広島市内にも、散策に適した場所がいくつかある。
私のお気に入りのコースは同じ南区内の2ヶ所。
ひとつは海に近い山頂までの道。
春には桜並木が見事で、夏の緑、秋の紅葉と目を楽しませてくれる。
もう一ヶ所は、現代美術館のある小高い丘のような山。
特にいま、春から初夏にかけての樹木の間をわたる風は、歩いていてとても心地よい。
その気になると、そんな“眺めのいい日常”は、どこでもけっこう見つかるものだろう。

自然の残るこれらの場所には、私のお気に入りの木がある。
勝手に自分できめた“友だちの木”。
そう、昔からの友だちのような気分なのだ。
近くを歩く度に、「よおっ、元気そうだね」と心の中で声をかけていく。
同じ時代に歳を重ねていく者どうしの、日常のちょっとした挨拶ってところだ。
だから、台風一過の後には「大丈夫かい?」と様子を見に行くし、元気に芽吹いたり花が満開だったりすると、うれしくなる。
そして「さあて、自分もがんばらなきゃ」と思う。

そんな“会話”をした日には、それこそネコの額のような我が家の庭に出てみる。
そこには、ものぐさで手入れもろくにしないのに、たくましく花を咲かせる健気な植物たちがいる。
それらは春から初夏にかけての、私のささやかな庭の愉しみなのである。










2006年05月23日 12時24分

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