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IDLE TALK
私的ココロ







ディーシー・ラボの代表、奥本が、モノやコトそしてドーラクについて、その時々の興味を気ままに綴ったアイドルトーク(無駄話)。仕事も遊びも楽しむ方々との小休憩ページです。
また時折登場する趣味のコラム「道楽迷路」は、その道の趣味、興味のない方にはさっぱり意味不明、本当に時間の無駄となります。


過去の私的ココロ

お暇な方、もの好きな方ヘ贈る、愛と追憶のバックナンバー。





Vol.016
桜に思うこと

文・写真=奥本健二






今年も春がやってきた。
春といえば桜。
だれしも桜の花を見るとき、春を感じて浮き立つ想いとともに、何かしらの特別な感情や記憶が蘇るのではないかと思う。

入学や進学があり、就職や退職がある。
その人の人生の大きな節目に、春という季節がある。
そのとき、その背景に咲いていた、あるいは象徴としての花が桜なのだ。
桜の花期は短く、一週間もすれば大半が散ってしまう。
その短さがよけいに、その時期の一瞬を、強力にその人の脳裏に刻みつけるのかもしれない。
その咲き方の潔さが、日本的な精神を表すものとして好まれるのだが、戦争中は兵士は桜のように潔く散るべしとして、軍国主義を鼓舞する道具として使われた悲しい歴史もあった。



桜の花を観賞する文化はいつからなのかを調べてみると、平安時代より前、すでに野生の桜を鑑賞していたそうだ。
日本書紀(720年)には、神功皇后の時代にすでに鑑賞されていたことが書かれている。
そして、平安時代以降、野生の桜を都市部に移植して鑑賞するようになった。
桜の花見の風習は、9世紀前半に嵯峨天皇が南殿に桜を植えて、宴を催したのが最初といわれている。その後、貴族から武士や大衆へ、そして都から地方へと広まっていったようだ。
さらに観賞用桜の代表種「ソメイヨシノ」が江戸時代に登場し、またたく間に全国に広まったおかげで、日本中に花見の風習が広く普及し、深く浸透していったのだ。

桜っていうのは満開の時期も素晴らしいけど、なんといっても散る風情がいい。
もう奇跡的な景色を作り出すことがある。
もし、桜がこんなふうに散らなかったら、万葉の歌人たちもあんなにたくさんの桜を詠まなかったのではないだろうか。


突風に巻き上げられる無数の花びら。その美しさはこの画像では伝えられない。残念!



私は、親族や友人などと酒を飲み交わし、ワイワイやる宴会が大好きだ。しかし、こと桜の下の「花見」という名のドンチャン騒ぎは好きではない。
なぜか、桜だけは静かに眺めたいと思うのだ。
桜の満開の時期に亡くなった、私の父のことを毎年思い出すのだが、どうもそれだけではない気がする。

散っていく桜を見るたびに、
「あと何回この光景を体験できるのだろう…」
と考えてしまうのだ。(歳のせいかな)

もし私があと30年生きるとしたら、30回“しか”見られない。
そこで思うのだ。
やっぱ好きなことしなきゃ、ってね。

〜明日ありと思う心のあだ桜
   夜半に嵐の吹かぬものかは〜

そう、“明日があるさ”ではだめな場合もある。
今やりたいこと、できることは、今すべきなのである。





2006年04月16日 17時23分

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